老子道徳経
第5章
大元からうまれた天地の創造のはたらきは
仁愛に満ちてるわけじゃない
タオの人もそうだ
あらゆるものを生み出しては
祭りで並べられる藁でつくった犬のように
用が済んだら捨てている
天と地の間にあるこの世界は
風を送り出すふいごのようなもの
空っぽなのに
万物を生み出し、そして尽きることがない
動くほどに
ますます多く生み出す
言葉の多い人は行きづまる
だからただ
心を空っぽにして
自分の中心にすわることだ
神遊りら 訳
創造主はなまやさしいもんじゃない
わたしたちがいう「愛」とかいう言葉で
語られるもんじゃないかもしれない
それは
非情なまでに公正だ
どんどん生み出し
どんどん破壊する
それができるのは
「無限の空っぽ」だからだ
空っぽだから無尽蔵
絶え間なく生み出すことができる
空っぽでいる
ということが
この世界ではほんとに難しい
わたしたちのしずかな空間を
うるさい情報がすぐに埋めようとする
無意識になれば
すぐにゴミみたいな思考に乗っ取られちゃう
借り物の知識を得て
壊れた再生機のように
なんどもおなじことばかり
クダラナイことばかりを話している自分に氣づく
それじゃ
自分の生きたい人生なんて創造できないよね
「自動的な思考」は、無意識的で惰性的だ
「沈黙」は、意識的、高潔な意思だ
ほんとうに自分の人生を生きたいのなら
アタマのうるさいおしゃべりに
心を奪われるのをやめて
「しずけさ」を守ることを大切にしよう
アタマを空っぽにする時間を
少しでもつくろう
どんなときも
しずけさのスペース
沈黙のスペースを守ろう
そこからすべてが生まれるのだから
~りらの響き~ 神遊りら
天地は仁ならず
万物を以て芻狗(すうく)と為す
聖人は仁ならず
百姓を以て
芻狗と為す
天と地の間は
其れ猶お
槖籥(たくやく)のごときか
虚しくして屈きず
動きていよいよ出ず
多言は数々(しばしば)窮す
中を守るに如かず
(老子 金谷治著 講談社 書き下し文より引用))